ライフデザインスクール:はたを掲げて生きる
ライフデザインスクールのコンセプト:RICE WORKからLIFE WORKヘ

〜自分の可能性へ挑戦する6ヶ月〜


vol.10:「分からない、だから聴こう」

どうも、LDS東京16期卒業生で、インターン生のけいごです。
実は僕、このまえインドで一か月ほど一人旅をしていました。今回はそこで感じたことを「コミュニケーション」という切り口から記事にしてみました。
日本では曖昧な「コミュニケーション」という定義。「自分と周りの人とのコミュニケーションってどうだろう?」と考えてみるきっかけとなれたら幸いです。初めて記事を書くのでドキドキワクワクしています。ぜひ、最後までお読みください。
 
 

 

『フレンドリーなインド人』

 
インド人って、良い意味でも悪い意味でもフレンドリーなんです。道で歩いていて、通りすがりのインド人と目が合っただけで微笑みかけてくれるし、一言二言話しかけてくる。おしゃべりも大好き。他にも、日本人が珍しいのか、歩いているだけで「一緒に写真撮ってくれないか」と言われたり、いきなり食事中に同じテーブルに座ってきたり。(笑)その反面、詐欺も多いので、そのフレンドリーさを利用して騙してきたりもするのですが、、、実際に僕もなんどか騙されてしまいました。

でもなんだか、とても自分の欲求に従って生きているなという印象をインド人にもちました。日本で生まれ育った僕からしたら、周りの事を気にする様子もなく、自分がどうしたいかという欲求に従って行動しているインド人は少し魅力的にも思えました。
 

 
 インドは南アジア随一の面積と世界二位の人口を持つ国であり、13億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されているそうです。簡単に言うと、すごい人数多いし、すごい色んな人がいるってことです。相手にフレンドリーに接して目の前の人に敵意を見せないことは、多様な民族、言語、宗教によって構成されているインド人同士にとって必要不可欠なコミュニケーションなのかもしれません。

気づいたら、フレンドリーになっている自分がいました。海外に行ったことがある人なら分かると思うのですが、なぜか海外に行くと、いつもフレンドリーになる自分がいます。
 
 
どうして海外にいくとフレンドリーになれるのでしょうか?
 
 
これは、“相手と分かり合えない、相手が分からない” という大前提が双方にあるからだと思います。外国語が堪能ではない人にとっては、相手の言っていることも、伝えたいこともわかりません。だからこそ、自分からフレンドリーに関わろうとする、相手が何と言っているか、何を伝えたいのかを熱心に聴き取ろうとするのです。



 

『日本人のコミュニケーション』

 
“コミュニケーション力不足”最近の日本でよく耳にする言葉です。フレンドリーに関わり合うインド人が多い背景が、民族・言語・宗教によるものだとしたら、日本のコミュニケーション力の未来はどう補っていけばよいのでしょうか?長年鎖国状態だった日本にとっては、分かり合えない、分からないという経験自体が少なく、そもそもの根本から出遅れているということになってしまいます。
 
ここで一つ、疑問が浮かびました。
 
多民族国家でない日本人は果たして互いに分かり合っているのだろうか?
 
僕は、分かり合えていないと思います。正しくは、日本人の大半が“分かり合えたつもりになっている、分かったつもりになっている”だけだと思います。少し、お互いにズレているのです。恋人同士なぜかうまくいかない。会社での人間関係がなぜかうまくいかない。家族関係がうまくいかない。。。。それは、価値観や言葉の解釈が相手と自分とでズレているということに気づいていないからだと思います。同じ言語だから分かったつもりになってしまう。そういった分かったつもりによる少しのズレが、やがて大きな歪みになり、関係性を阻害していってしまうのです。
 
 
簡単な例をご紹介します。
 
最近彼女に別れを告げてきたA君と友達B君の会話です。
A君:「彼女に別れを告げてきた」
B君:「お前最悪だな」
A君:「何だよその言い方」(怒り)
日常にある些細なコミュニケーションの一幕です。
 

でも、A君にとって彼女に別れを告げてきたということが大きな決断だったとしたら、否定をされて怒りが湧いてくる気持ちは共感できます。ここで生じたズレは何でしょうか?「別れを告げる」という言葉が、A君にとっては「大切で大きな決断」B君にとっては「一方的でひどいこと」と感じる言葉だったのです。

A君がどんな思いで別れを告げたのか、また今回の一件だけではなく、A君が過去にどのように人と関わってきたのかという過去の背景を知って初めて、A君にとっての「別れを告げる」ことがどのような意味をもつのかが分かると思います。もしかしたらA君には、別れを告げられず相手を傷つけてしまった過去があるかもしれません。同じように、B君にとっても「別れを告げる」という行為が一方的でひどいことに思われるような過去の背景があったのだと思います。 
 

このように、分かったつもりのコミュニケーションによるズレは日常的に起こっているのです。僕は、“分かったつもり”=”聴けたつもり”だと思います。日常のあらゆるところで行われるコミュニケーションにおいて、大半は聴けていないのです。聴けたつもりになっているだけだと思います。聴けたつもりになることで、中途半端に相手の言っていることを解釈してしまい、相手を傷つけてしまうのです。その連続で、コミュニケーションをとることに躊躇や恐れが生じてしまう。そして、伝えることも聴くこともできないという悪循環に陥ってしまいます。大切な話や、あまり人には言えないことだったら尚更です。

 
 

『僕たち日本人はどうしたらいいのか?』

 
聴くことから始めましょう。大前提分からないのです、相手の事なんて。聴かないと分からない。もしかしたら聴いても完璧には分からないのかもしれません。でも、親身になって、否定せず、遮らず、相手が想っていること、感じていること、伝えたいことを言いきるまで聴いてみてください。そこから本当のコミュニケーションが始まると僕は思ってます。分からない、だからこそ深く聴く。誰に対しても、そこから始まるコミュニケーションが広がったらいいなと思います。

相手の話を深く聴くことが可能になる一番早い方法の一つは、「自分の話」を深く聴いてもらうことだと思います。深く聴いてもらうことの威力は絶大です。僕がLDSに通っていた頃のエピソードを紹介すると、僕はLDSに通う前、周りには友達がいっぱいいて、「より多くの人を幸せにしたい」と思っている自分が大好きでした。ですが過去の話を深く聴いてもらったことで、自分の中に「人から嫌われたくない」と強く恐れている自分がいることに気がつきました。これに気づいたときは、自分の事を偽善者だと感じ、とても自分が許せなくなりました。しかし、そんな自分に気づいたおかげで、辛かった過去と向き合い過去から繋がる願いに気づくことができ、初めて等身大の自分を捉えられたのです。あの時、深く聴いてもらうことを経験していなかったら、今僕の中にあるやりたいことや大切な想いには、ずっと気づけなかったのではないかと思います。
 
深く聴いてもらうことにより、相手とのズレを擦り合わせられるだけではなく、自分自身に対する気づきや人生のヒントが見いだせるきっかけにもなります。
 

 

『おわりに』

 
僕自身、LIFE DESIGN SCHOOLと出会ってから、他者の話をまずは深く聴くという価値観になりました。人の話を深く聴けているつもりだったけど、全くできていなかったのだと知りました。僕の話をなんでも深く聴いてくれるあたたかい場と人たちに初めて包まれました。分からない。だから深く聴く。分かりたい。だから聴いて分かってもらう。そんなコミュニケーションの大切さを僕はLIFE DESIGN SCHOOLで学べたから、この考え方が多くの人に届けばいいなあと思っています。その連鎖により、少しずつ、日本のコミュニケーションの未来は明るくなると思っています。
 
 
興味のある人は、LIFE DESIGN SCHOOLの体験会にぜひお越しください。きっと大きな出会いがそこには待っていると思います。
 
今回は、インドでの経験から、日本のコミュニケーションの未来について考えてみました。ここまで読んでくれてありがとうございました^^
 

ライフデザインスクール生:ちか

この記事を書いた人
遠藤 圭悟
ライフデザインスクール 東京16期

ファシリテーター:たけさん

この記事の監修
星屋 あやめ
ライフデザインスクール
ファシリテーター
株式会社はぐくむ 
 

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